日本のオーパーツ「聖徳太子の地球儀」を解説!まつわる謎に迫る!

聖徳太子の地球儀 オーパーツ
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聖徳太子は、厩戸皇子であり飛鳥時代の皇族とされている人物です。

様々な本にも掲載されていますし、聖徳太子と言えば歴史上重要な役割を担っているのは、誰しも承知のことかと思います。

ですが、そんな聖徳太子が地球儀を所持していた可能性があることはご存知でしょうか?

しかも当時は、地球が丸いということ自体、認知されていなかったのではとされています。

それに未知の大陸、墨瓦蠟尼加(メガラニカ)とも関係が深いようです。

そんな聖徳太子の地球儀について、徹底解説していきます。

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聖徳太子の地球儀とは?

ではさっそく聖徳太子の地球儀について知っていきましょう。

聖徳太子自体については、ご存知の方も多いと思いますので詳しくは省きますが、当時の皇族で政治家でした。

この聖徳太子の地球儀は、ソフトボールよりも少し大きいくらいのサイズで、石灰と海藻糊でできているものでした。
パッと見た感じでは、陶器などの焼き物のオブジェのようにも見えるのが、聖徳太子の地球儀です。

権力や財力を持っていたと思われますので、たくさんの宝物も所持していたのでしょう。

その中のひとつに、聖徳太子の地球儀があります。

斑鳩寺にゆかりの品と伝えられている

兵庫県揖保郡太子町にある、斑鳩寺は606年に聖徳太子によって建てられました。
住所にも太子と入っているのにも、関係がありそうですね。

建設後は大寺院となっていましたが、1541年に戦によって燃えてしまいます。
ですが、復興されています。

この斑鳩寺には、聖徳太子の宝物、ゆかりのあるものなどが多数保管されています。

ちなみに、江戸時代には目録も作成されていて、その中に書かれている地中石というのが、聖徳太子の地球儀なのではないかと目されています。

聖徳太子が存命していた時期には無かったはず

実際に聖徳太子が存命中に地球儀を手にしていたかは定かではありません。
ですが、聖徳太子が存命していた574〜622年には地球が丸いことは、証明されていませんでした。

つまり地球儀が存在していること自体が謎ということですね。

地球が丸いということが証明されたのは、1519〜1521年まで世界一周旅行が行われた後とされています。
それよりも以前は、地球は平面とするのが主流の考えでした。

このことから、聖徳太子の地球儀はオーパーツとされています。

日本に世界地図が入って来たのは1602年

世界一周旅行によって、地球は丸いということが証明されたのが1521年。

その後、日本に世界地図がやって来たのは、1602年に中国から伝えられた坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)が最初と言われています。

それよりもずっと以前である、聖徳太子の存命中には、世界の地図というのはあまりにも進んだ考えに思えますね。

聖徳太子の地球儀に描かれていた「墨瓦臘泥加」

存在自体が不思議な、聖徳太子の地球儀。

さらに不思議なことに、その地球儀には未知の大陸、いえもはや架空の大陸と呼ばれている2つの大陸が記されていました。

それが墨瓦蠟泥加(メガラニカ)とムー大陸です。

特に墨瓦蠟泥加は、地球儀の本体に「墨瓦蠟泥加」と直接書かれていることから、深い関わりがあるのかもしれません。

では、これらについても見ていきましょう。

墨瓦臘泥加とは?

墨瓦蠟泥加は、墨瓦蠟尼加、黒瓦蠟尼加とも表記されることがある、伝説の大陸のことで、南極を含む南半球を広く覆っていたと考えられていました。

漢字で表記すると、非常に難しい印象ですが、メガラニカは1520年には存在すると信じられていた大陸です。

当時フェルディナンド・マゼラン艦隊は、現在のフエゴ島を見つけた時に、南半球を覆うほどの大きな大陸を発見したと思いました。

そしてこの発見時に、この大陸(と思われたもの)を墨瓦蠟泥加と呼称しました。
こうして架空の大陸ができたのですね。

1646年に発見されたとされた

1578年には、最初に墨瓦蠟泥加と思われたフエゴ島は、島であるということが判明しましたが、それでも大陸自体は存在すると考えられていました。

ついに1646年、アベル・タスマンがニュージーランドを発見します。

そしてこの時に、ニュージーランドは墨瓦蠟泥加だと思われていたため、墨瓦蠟泥加を発見したとされたのですね。

そして、1773年にジェームズ・クックがイギリス王立協会からの依頼で、墨瓦蠟泥加を捜索し、南極まで辿りついたものの、そのような大陸が見つかりませんでした。

こうして、墨瓦蠟泥加には架空の大陸であると結論づけられましたが、その後も墨瓦蠟泥加を信じる人は多くいたようです。

ムー大陸も描かれている

墨瓦蠟泥加だけではなく、ムー大陸と思しき大陸も描かれていました。

ムー大陸は、自然災害によって一夜にして消失してしまったと言われている、伝説の大陸です。
超文明があったとも、豊かな土地だったとも言われていますね。

ですが、このムー大陸は多くの人物が古い記録を誤った解読をし、架空でありながらも存在しているように思われた大陸とされています。

場所は太平洋の真ん中のあたりにあったと言われていますが、海底調査によってそのような大陸が存在したとは認められていません。

そのような大陸が、聖徳太子の地球儀に描かれていたのは、なぜなのでしょうか?

たまたま似たような大陸が描かれたのか、それとも実際に存在していたから描かれたのか。
謎が深まります。

※ ムー大陸については以下の記事で詳しく紹介しています。
一夜にして無くなったムー大陸とは?最新の説までご紹介

聖徳太子自体も不思議?実在しなかった?

地球儀も不思議なのですが、最近では聖徳太子自体についても疑問が持たれています。

実は聖徳太子という人物は存在していなかったとする、新たな説が浮上しているのです。

ここまで世間一般に広く知られているような人物が、存在しなかったというのは、なかなか信じがたいものです。

ですが、よくよく説を検証してみると存在していない可能性も頷けます。

もし、聖徳太子自体が実在しない人物なのだとしたら、斑鳩寺はどうなるのでしょうか?

ゆかりの品とされている、聖徳太子の地球儀やその他の宝物、聖徳太子の残した実績は?など疑問が多くあります。

この聖徳太子という人物にも、焦点を当ててみましょう。

日本書紀に存在していない

少々難しい話にはなり、諸説あるのでハッキリとしたことはまだ分かっていません。

ですが、以下の説などが挙げられています。

  • 厩戸皇子と聖徳太子は別人の可能性があるということ。
  • 聖徳太子自体が日本書紀を作った時に創作されたものであるという可能性があること。
  • 斑鳩寺を作った、聖徳太子の存在に近いような人物はいたが、聖徳太子ではない可能性があるということ。

などが注目されています。

また、以前までは聖徳太子が行なった実績と見られているものも、実は日本書紀を作った時に作られた創作ではないかとも言われています。

史実とされていたことでしたが、覆されてしまったようです。
ですので、聖徳太子の存在自体が非常にあやふやなものとなっています。

聖徳太子の顔は分かっていない?

聖徳太子の顔は様々なお札にも描かれ、文献にも掲載されていますが、実はその顔はハッキリとは分かっていないとされています。

というのも、現在ある聖徳太子のイメージとして強い印象のものは唐本御影という、聖徳太子の肖像画と言われているものです。
お札にも使用されたイメージとなっています。

ですが、この唐本御影は法隆寺で保管されていたのですが、実は聖徳太子を描いたものとハッキリ分かっているものではないようです。

恐らく聖徳太子であるとされているもので、実は服装が飛鳥時代ではないのでは?とする声も出ています。

ハッキリしていない部分が多くありますが、それだけ存在自体が危ぶまれている人物なのです。

10人の人の話を同時に聞き分けることができるとされていたり、厩の前で生まれたとされていたりと、数々の超人的な伝説も多くある聖徳太子。

もし実在しない人なのだとしたら、超人的な部分も納得がいきやすくなるかもしれません。
聖徳太子の顔についても諸説あり、未だ明確になっていません。

テレビで聖徳太子の地球儀は調査された

聖徳太子の地球儀に話を戻していきたいと思います。

この地球儀を調査したテレビ番組があったのです。
それが、都市伝説の間では有名な特命リサーチ200X(日本テレビ系)です。

様々な都市伝説などについて、調査を行なっている特命リサーチ200Xは、2003年にこの聖徳太子の地球儀について取り上げています。

そこで、どのように伝えられたのかについてご紹介していきたいと思います。

1602年以降に作られたもの?

特命リサーチ200Xでは、墨瓦蠟泥加が記載されているという点を捉えて、1602年以降に作られたのではないか?としています。

確かに、上でも触れた世界地図(坤輿万国全図)が日本へやってくるのも、そのあたりの年代です。

これより前に、墨瓦蠟泥加についてが日本に入ってくるというのは、少し考えにくいかもしれません。
地球儀自体にも「墨瓦蠟泥加」と書かれていることから、年代については1602年以降の可能性は高そうに思えますね。

さらに、特命リサーチ200Xでは聖徳太子の地球儀に描かれている地図と、和漢三才図会に掲載された山海輿地全図と酷似している点にも着目しました。
この和漢三才図会を編纂した、寺島良安が作ったのでは?という説まで打ち立てています。

これらに矛盾が無いように思えますが、決定的な証拠には足りないようです。

仮にそうだったとして、どうして聖徳太子にゆかりのあるものとして目録に記されていたのかが、謎となりますね。

未発見のはずのムー大陸の謎は解けない

また、上記のように特命リサーチ200Xの説が当てはまっていたとしても、ムー大陸と思しきものが描かれていたことの矛盾は説明がつきません。

上記で紹介している、和漢三才図会などよりも200年以上も後になってから話題になったのがムー大陸です。

そもそも、聖徳太子の地球儀に描かれているのはムー大陸ではなく、全く違う大陸か島々である可能性を唱えている方もいます。

確かに偶然の一致なのかもしれませんが、どうしてそのように表現されたのかは分かっていません。

まとめ

聖徳太子の地球儀とは言っても、聖徳太子の存在自体があやふやでもあり、謎が浮き彫りになったままとなりました。

まずは、聖徳太子自体が存在しているのかどうかが明確になれば、この地球儀に関しても分かってくるかもしれませんね。

ぜひ皆さんも、聖徳太子の存在について独自に研究してみてくださいね。

【参考サイト】

wiki
聖徳太子の地球儀(wikipedia)
山海輿地全図(wikipedia)
斑鳩寺 (兵庫県太子町)(wikipedia)
メガラニカ(wikipedia)
聖徳太子(wikipedia)
地球球体説(wikipedia)
坤輿万国全図(wikipedia)
ムー大陸(wikipedia)
唐本御影(wikipedia)
和漢三才図会(wikipedia)

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