孤島イースター島のモアイ像はいつ作られたのか?その謎とは?

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モアイ像と言えば日本でも有名ですので、何となくの形を思い浮かべられる方は多いでしょう。
また、モアイ像がトレードマークとなっている場所も、いくつかありますね。

本物のモアイ像は孤島 イースター島にあります!

ここでは、モアイ像はいつ作られたのか?そしてどんな謎があるのか追求していきたいと思います。

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モアイ像とは?

モアイ像とは、世界最果ての地と呼ばれているイースター島にあります。

高さはバラバラで3.5〜20mほどがある大きな石像で、人の顔と体がかたどられています。
また、石像というだけあって重量もかなりのもので、20〜90トンもの重さがあります。

さらに驚くべきはモアイ像の数です。
制作途中に放置されてしまったものも合わせると、約900体もあるというのです。

そして、これらのモアイ像は16〜17世紀ごろの部族間の争いによって、ほとんどが倒されてしまったのです。

1840年には、すべてのモアイ像が倒されてしまったとも言われています。

その後20世紀に入ってから、少しずつ元へ戻す復元作業が進められて、現在の姿となったようです。
後述しますが、これには日本の企業も関わっているのです。

大量のモアイの像がイースター島に残されているのには、どんな意味があるのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。

作られた意味が分かっていない

このモアイ像ですが、何のために作られたのか?という意味がはっきりと分かっていません。

7世紀頃からモアイ像の原型が作られ、10世紀頃から現在のような形が作られていた、とされているモアイ像。

材料は、凝灰岩(ぎょうかいがん)という火山灰が体積してできた岩が使われていて、この凝灰岩は加工しやすかったとされています。
また、部族長の顔を表していたとも言われています。

モアイ像の向きは、海を背中にしているとよく言われています。
しかし、よくよく見ると確かに海沿いは海を背中にしていますが、山あいにあるモアイ像は海を向いているタイプもあるのです。

そのため、モアイ像は単に海を背にしているのではなく、集落の方を向いているのではないかと推測されています。

また、モアイ像の周りから人骨が発見されたことから、お墓の意味があったのではないかとする説が現在では有力となっています。

このように何をかたどっているのか、どちらを向いているのか、などまでは分かっていますが、何のために作られたのかの確証はありません。

形状が似ている石像がない

孤島ということもあってか、他の文化には全く見られない特徴を持っているのがモアイ像です。
なので、どうしてモアイ像の形ができ始めたのか、というのが分かっていません。

南米 ティナワク遺跡に石像が多く見られていますが、モアイ像とどちらの歴史の方が古いのかが分かっていません。
また、日本の猿石が基になったのでは?という説まであります。

巨石の文化はヨーロッパから、石像の文化は南米からとどちらもが混ざり合って、モアイ像という形にたどり着いたのでは、と言われていますが、こちらも分かっていません。

目がはめ込まれていた

すべてのモアイ像に、もともと目がはめ込まれていたということではなく、特別な時にのみ一部のモアイ像に目をはめ込めていたようです。

現在復元されているモアイ像には、一部目をはめ込んでいるものもあるようです。

その目自体はサンゴ質の石灰岩が使われていたようですね。

この目についても意味が分かっていませんが、特別な時にだけはめ込むということは、やはり儀式的なものに使っていたのでしょうか?

そして、比較的新しいモアイ像の一部には、プカオと呼ばれる帽子を被っているタイプもあります。

赤い色をしていて、当初は階級を表すものか、女性の髪の意味ではないかとされていました。
しかし、最近では男性の結い髪であると考えられています。

モアイ像の下半身は埋まってしまった

モアイ像自体、作られていた期間も長く1000年ほどの間作られ続けていたとされています。

その間に、モアイ像の形もだんだんと変化していて、ざっくりと分けると以下のようになります。古い順から特徴をご紹介します。

  • 上半身・下半身ともにあり小型なものが多い
  • 上半身のみで、前で手を組んでいる
  • プカオが乗せてあるものが登場
  • いわゆる現在のようなモアイ像

というような、流れでした。

このことから分かるように、すべてのモアイ像に下半身があった訳ではありませんが、モアイ像は経年によってだんだんと埋まっていってしまったとされています。

当時モアイ像の建設は可能だったのか?

小型のタイプでも20トン、大きいものだと90トンもあるような重さのモアイ像を、どのようにして建設していたのでしょうか?

また、当時の技術で建設することは可能だったのか?
これらの謎についても見ていきましょう。

当時の建設方法を再現した

実は、伝承されているとされるモアイ像の建設方法があり、その方法に沿って実際に実験してみた、トール・ヘイエルダールという人物がいました。

モアイ像は恐らく、噴火口跡近くから採石され、その近くの溝部分から滑らせるようにして、引っ張って運んだとされています。

実際にその溝からは、北・南・西へと伸びる道が残されていました。

トール・ヘイエルダールは、現地の人とともに実験を行いました。
そして、巨石を移送させてモアイ像を立たせるというところまで、やってのけたのです。

12人で18日間かかったそうですが、当時の技術でもう十分に可能だったとしています。

石のころで移送し、木の棒と石を積み上げて立たせたそうです。
18日間もかかるというのは、とても大変な作業だったと想像できますが、数十トンもある巨石を移動させることは可能だったのですね。

島の環境が現在と違う

このモアイ像の移動と立たせるのに多く使うのが、ひも状などにして使えるヒモの類のものです。

これらについてイースター島には、そのように使える資源が少ないとされていました。
ですが、現在の環境とその当時の環境は違うとされています。

当時の堆積層のあたりから、ヤシの花粉が多く出てきているため、現在よりもヤシが多くあったと考えられています。

そのため、引っ張って使うことに適している材料は、豊富にあったと考えられています。

当時にとってしても、簡単なことではなかったと思いますが、このような環境下であれば、より実現可能に近づきますね。

部族間の争いのためのモアイ像?

まだ推測の域を出ない説ではありますが、部族間の争いのためにモアイ像が乱立されたのではないかとする説があります。

確かに現在では使途不明となってしまう1000体ものモアイ像は、多すぎるような感じさえしてきます。

この説について見ていきましょう。

先住民族の争い

先住民族の間で、森林の奪い合いや食料などの争いが増えていったとしています。

この森林の現象にはネズミが関与しているのではないか、とも言われています。

部族間で緊張する場面が増えるごとに、自分たちの威厳を主張する必要があったようです。

モアイ像が乱立される

そこで、登場するのがモアイ像です。
モアイ像を作ることを競い合うようになり、次々にモアイ像を作っていったというものです。

だんだんとモアイ像の大きさが大きくなり、プカオなどの装飾のようなものも増えていったのも、このためなのでしょうか。

ともすると、合点がいってしまう話ですね。

最悪の循環になってしまった

このモアイ像を立てるためには、多くのヤシの木が必要になるため、森林が減ってしまうという最悪の循環になってしまったのですね。

森林や食料を巡って対立するために、より森林を伐採して行くというのは、ハタから見ると悪循環ですが、当人たちにしてみれば当然の成り行きだったのかもしれません。

伝承などから推測された説ですが、少々悲しい説でもありますね。

モアイ像こそ調和の証とする説もある

そんな悲しい悪循環の説をご紹介しましたが、伝承と推測だけでこのように考えるのには無理があるとしている説もあります。

また、モアイ像こそ部族間が調和していたという証になり得るというのです。

全く逆の説ですが、こちらについても見ていきましょう。

切り出した場所が同じ

イースター島にあるモアイ像は、ほとんどが同じ場所から切り出された石材を使っているとされています。
ですので、仲良くしていたからこそ同じ採石場を使うことができた、とするものですね。

確かに対立していたら、同じ採石場を使うのは難しいかもしれません。

また、他の部族が使えないように見張りをつけたりなど、工夫をする可能性も考えられます。

切り出した場所が同じであるというのは、大きなポイントになり得そうです。

人と争うことに適している武器がない

こちらも大きなポイントとなりそうですが、部族同士で争うならば武器を使ったのではないかと推測されますが、人と争うことに適している武器が見つかっていないようです。

イースター島から発掘された頭蓋骨を調べた時にも、石器で攻撃されたような跡があるものは、469個のうち2個だけでした。

これらのことから、実際には部族間の争い自体無かったのではないかとする説もあるほどです。

争い自体は無い方が良いかとは思いますが、実際にどうだったのか、今はまだハッキリと分かりませんね。

宮崎にあるモアイ像はイースター島の許可を得ている

モアイ像は、世界にイースター島だけにあるのではありません。
とは言っても、本物はイースター島だけであって、レプリカがあるということですね。

日本にも、北海道や宮城県、渋谷のモヤイ像などがありますね。

ですが、中でも宮崎のサンメッセ日南にあるモアイ像は、唯一イースター島の許可を得ているモアイ像として有名なんです。
このサンメッセ日南のモアイ像について見ていきましょう。

宮崎にモアイ像が来た理由

イースター島のモアイ像が倒れているということを知った、株式会社タダノの社員は、社長にすぐさま相談しました。

そして、実際にクレーンなどをチリ海軍に協力を得て移送し、15体の復元を行なったのだそうです。
これにかかった費用は1億8000万円にものぼったそうで、この全額を株式会社タダノが持っているというのだからすごいですね。

また、これによってラパヌイ国立公園として、世界遺産に登録されることが叶いました。
そしてこれらのことを受けて、イースター島の長老会がモアイを復刻することを許可したのです。
(株式会社タダノは、サンメッセ日南とゆかりがあったようですね。)

このような流れがあって、サンメッセ日南に建てられているモアイ像は、世界で唯一許可されているアフ・アキビの完全復刻版として存在しているのです。

金額的なものにも驚きですが、情熱がすごいですね。
考古学的な観点から見た時にも、修復自体始めは良しとされていなかったようです。
これを情熱を注いで説得したというのも、誰にでもできることではありません。

運気アップもできる!

このサンメッセ日南のモアイ像には、ジンクスもあるようですね。

7体のモアイ像がありますが、それぞれにパワーが違うとされていて、このモアイ像に触れると、パワーをもらうことができるそうですよ。

訪れた際には、ぜひ触っておきたいですね!

沖縄のモアイ

少々余談になりますが、沖縄にあるモアイは模合と言って、イースター島のモアイ像とは全く違うものです。

個人や法人単位でグループとなり、一定額の金銭を集め、その内の1人が全額もらえるというシステムのことです。
宝くじ的なものではなく、相互扶助システムとして確立されていたようですね。

同じモアイですが、全く意味が違うものですね!

まとめ

ここまで、モアイ像についてご紹介してきました。

日本でのイメージは、イースター島のマスコットのようなものが強いですが、このような歴史的な背景があったのですね。

ぜひ、どこかでモアイ像を見かけた時には、この記事のことを思い出してみてください。

【参考サイト】

wiki
モアイ像(wikipedia)
イースター島(wikipedia)
凝灰岩(wikipedia)
トール・ヘイエルダール(wikipedia)
タダノ(wikipedia)

公式ページ
サンメッセ日南(公式ページ)

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