ドラキュラは、吸血鬼やヴァンパイアとも呼ばれていて、人の生き血を吸う、人型の怪物として世界中に知られています。
そんなドラキュラですがあまり人に知られていない意外な点もあるのです。
ここでは、「ドラキュラ」と「吸血鬼」の違いやドラキュラ伝説、現代のドラキュラについてを解説していきます。

知っているようで、以外に知らないドラキュラを徹底的に掘り下げます。


ドラキュラとは?
ではまずは、ドラキュラ自体についてご紹介します。
実はドラキュラは、血を吸う怪物全体の呼び名ではなく、小説の中に出てくる吸血鬼の固有名詞なのです。

このことは、日本ではあまり知られていませんね。
登場人物の名前「ドラキュラ(伯爵)」
イギリス時代のアイルランド人作家である、ブラム・ストーカーが書いた「吸血鬼ドラキュラ」の中に出てくる吸血鬼の名前が「ドラキュラ(伯爵)」だったのです。
それが、広まりドラキュラ=吸血鬼となって、広く知られるようになりました。
意外なエピソードですが、吸血鬼一族のドラキュラさんのことを指していたのです。
ですが、現代ではドラキュラ=吸血鬼=ヴァンパイアと、特に言い方の違いだけで、意味は道義として使われています。
吸血鬼とは?
吸血鬼とは?その特徴を見ていきましょう。
吸血鬼は、不老不死、または一度死んだ人が蘇ったとされていて、人の生き血を飲むと言われています。
そして、吸血鬼に血を吸われてしまった、何らかの理由で吸血鬼に殺された人は、吸血鬼になってしまうという恐ろしい特徴があります。
古くから、血は命の象徴・源とされていて、死んだ人は血を求めているという考えがあるので、その考えなどと混ざり合い生まれたのが吸血鬼とされています。
各地で伝承されている吸血鬼
吸血鬼自体、非常に歴史の古い怪物で、様々な地域で伝承されています。
ルーマニアではストリゴイと呼ばれていたり、ポーランドではウピオルと呼ばれていたりと、たくさんの呼び名があります。
上記で触れたドラキュラの影響から、男性のイメージがありますが、女性の吸血鬼の話もあります。

インドネシアなどではポンティアナックと呼ばれています。
世界各地に同じような話が点在しているというのは、不思議な部分ではありますね。
実際に、そのような一族がいたのでは無いかと、思わせる点でもあります。
吸血鬼の姿形
吸血鬼の姿形には諸説あり、主に生きている時と変わらない姿であることが多いです。
ですが、血の塊ともされており、この場合には時間が経つにつれて生きている頃の姿に戻ることができるそうです。
それとは別に、変身能力も有していて、霧状になったりコウモリの姿になったりと、様々な姿に変身ができます。
ちなみに、吸血鬼は美男美女が多いとされていますが、これはビクトリア朝以降の吸血鬼のイメージです。

時代によっても、吸血鬼のイメージは変わっているのですね。
それ以前の吸血鬼は、もっと凶暴的・動物的なイメージの方が近いとされています。
吸血鬼が苦手なもの
次に、吸血鬼が苦手としているものは、有名なのが十字架やニンニクなどがあります。
他には、
- 朝日が苦手で夜間にしか行動ができない
- 銀製のナイフや杭で心臓を貫かれると死亡してしまう
- 変身している間は鏡に映らない
などの特徴があります。
吸血鬼にならない対策がされていた
興味深いのは実際に、死んだ人が吸血鬼になってしまうのを恐れ、死者を埋葬する時に、様々な防止策が講じられていたことがある点です。
ヨーロッパなどでは、「死んだ人を猫がまたぐと吸血鬼になる」であったり「犯罪者であった」などの理由で死後吸血鬼になるとされていました。(こちらの理由にも諸説あります)
ですので、埋葬した後に吸血鬼になってしまわないように、お墓の周りにニンニクやイバラを置いたり、火を燃やし続けていたりされていたようです。
確かに死者が吸血鬼になってしまうのもイヤですし、吸血鬼が村を襲ったりしたら大問題ですよね。

ここまでするほど、信じられている存在だったのですね。
ドラキュラのモデルになった人物
ここからは、「吸血鬼ドラキュラ」のモデルになった人物にも、焦点を当てていきましょう。
15世紀の現ルーマニア南部にあたるワラキア公国、その君主である公ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)がモデルです。
この公ヴラド三世は、自分のことをドラキュラと呼んでいて、周りからもニックネームとして親しまれていたそうです。

当時は吸血鬼の意味としてドラキュラと名乗っていたのではなく、公ヴラド三世のお父さんがドラクル公と呼ばれていたことから始まります。
このお父さんのドラクルというあだ名は、ハンガリー王国のドラゴン騎士団に所属していたからとされていて、ドラクルに息子の意味のaが入り、ドラキュラとなりました。
自筆のサインにも、ドラキュラと入っていることから、自分でも気に入って使っていたようですね。
串刺し公とも呼ばれていた
この公ヴラド三世ですが、串刺し公とも呼ばれている、怖い一面があります。
国民や貴族までも、反逆などによって串刺しにしていたというのです。
ヴラド・ツェペシュと上で紹介しましたが、ツェペシュは名前部分ではなく、串刺しという意味です。
当時では、串刺しの刑というのはワラキア以外でも行われているものでしたが、
重い犯罪を犯した者のみの刑でした。
この残酷とも言える串刺しの刑から、串刺し公とも呼ばれていたそうです。

かなり残酷な刑です。
統治に必要と判断してのことかとは思いますが、残酷としか言いようがないですね。
他にも伝承として残っている逸話があり、病気の人や貧困層を1ヶ所に集めて火を放ったり、使者がやって来た時に、その使者の国の流儀として帽子を取らなかったため、帽子ごと頭に釘を打ち付けたとの話もあります。
この手の伝承された話はたくさんありますが、あくまでも伝承されているものだけで、正確な部分は分かっていないともされています。
最近では、侵略から国を守った英雄とされている人物でもあります。
謎の多い人ですが、残っている話が衝撃的な内容なだけに、串刺し公の異名を考えると実話なのかもしれないと思わせます。
どうしてドラキュラ伝説が広まったのか
ドラキュラ伝説が広まった理由には、その土地によって全く違う理由を辿っています。
西洋のドラキュラ伝説を紐解いていくと、古代ルーマニアにまで行き着きます。
古代ルーマニアではもともとの宗教がありましたが、他民族の流入やキリスト教などが持ち込まれ、その時に謎の疫病などによる死人などが増えました。
その謎を解明するのに使われたのが、吸血鬼による死というものです。
一般的によく言われているのは、土葬という土地柄、仮死状態だった人が蘇ってきたりするのが理解できなかったりなどもあったようです。

死んだと思っていた人が、蘇ってお墓から出て来たとなったら、とてつもない恐怖です。
また、当時は吸血鬼となってしまう原因として、信仰に反していたりすることも挙げられていました。
なので、吸血鬼にならないようにしっかり信仰をする、という意味も込められていたのかもしれません。
少々現代の感覚で言うと、理解しがたい発祥の理由もありますが、このような不安な思いなどから生まれたと言われています。
他にもインドネシアでは強姦、そして妊娠した女性が蘇ると男性の血を吸うとも言われています。
その土地だからこその、伝説の始まりがあるのかとは思いますが、不可解なことなどがあると吸血鬼のせいと信じられていたようですね。
ポルフィリン症が元になった可能性も

ポルフィリン症という遺伝性の病気があります。
このポルフィリン症患者が、当時のドラキュラの元になった可能性もあると言われています。
このポルフィリン症という病気は型が細かく分類されていますが、ドラキュラに関連するような症状を挙げると、以下のような点があります。
- 光過敏症により、日光に当たるとすぐにヤケドをしてしまう
- 貧血
- 顔面蒼白
- 歯茎が下がってしまうことで、牙のように見えてしまう
などがあります。
光過敏症によって、必然的に夜間行動となるのも、ドラキュラ伝説に関わっているかもしれません。
日本では難病指定されている病気で、生活に大きく影響する病気です。
現在のように情報や理解が少ないころには、伝説の元となってしまった可能性もあります。
吸血鬼狩り・退治
何かしら村などでおかしなことなどが起こると、吸血鬼狩り・退治というのも実際に行われていたようです。
とても怖い話ですが首を切り落としたり、死体を聖水で洗ったりなどが行われていました。
当時、吸血鬼退治は禁止されていることもありましたが、吸血鬼を信じている人たちにとっては、とても大きな問題だったためにあまり守られてはいなかったようです。
現在のドラキュラを名乗る人たち
実は、現在ドラキュラを名乗る人たちは多くいるのです。

イギリスには約15,000人もの自称ドラキュラの方がいます。
また、そのドラキュラの方を支えるために、サポート団体があり多くの人が支援をしています。
そのドラキュラの方たちの多くは、基本的には人間と変わらず、生活もほとんど変わらないそうです。
昼間の明るい場所でも、元気に過ごすこともあります。
ですが牛や豚の血を飲んだり、時にはサポート団体人間の血を飲んだりもしているそうです。
吸血鬼のサポート団体があるというのも驚きですが、このように吸血鬼を自覚している人もいるようです。
有名な「ドラキュラ映画」
ドラキュラを題材にしている映画は多くあります。
また、その映画でのドラキュラのイメージは、ドラキュラ自体のイメージも変えています。
1931年に公開された「魔神ドラキュラ」は、ドラキュラという名前の火付け役となったブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」が原作とされた作品です。
世界的なヒットとなり、長いマントに身を包む姿が印象的です。
もうひとつご紹介したい映画は、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」です。
こちらは1994年に公開された映画で、トム・クルーズやブラッドピットなど豪華な俳優陣が魅力です。
現代に生きるヴァンパイアの、これまでの人生を振り返るという物語です。
どちらの映画も、映画としても人気の高い作品です。
ぜひ週末のお楽しみにしてみてくださいね。

他の都市伝説もご覧になってみてくださいね。


参考サイト
コメント