最古の文明を築いたシュメール人!その謎と高い技術

シュメール人 歴史
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シュメール人、と聞くと有名なシュメール人の、目が異様に大きな像を思い出す方も多いかと思います。
怖いと言われることも多くありますが、シュメール人には謎が多くあり、また技術も相当に高く高度なものを築いていました。

ここでは、そんな最古の文明と言われているシュメール人の謎と技術について、解説していきたいと思います。
さっそく見ていきましょう!

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シュメール人とは?

シュメール人

シュメール人とは紀元前3500年ごろ、古代メソポタミア文明の初期を作った、最古の文明を作った人たちのことです。
場所はイラク・クエート、バビロニアの南半分ほどに位置していました。
また、古代メソポタミア文明とは、この周辺の文明の総称です。

シュメール人たちは、自らを「ウンサンギガ(黒頭の民)」と名乗っていて、地域のことを「キエンギ(君主たちの地)」と呼んでいました。

また、シュメールとは、言語学的なグループとしての意味だけとされています。
ですので、正確にはシュメール人というのは正しくはなく、キエンギ人、もしくはウンサンギガと呼ぶのが正しいとされています。
ですが、ここでは分かりにくくなってしまうので、シュメール人に統一します。

ちなみに、天皇の古い呼び方である「すめらみこと」が「シュメルみこと」だったというような、都市伝説が第二次世界大戦中に流れたことがありました。
これを沈静化させるために、シュメールと表記し長音を追加したとされています。

ですが、シュメール人が日本に移り住んだとする説もあります。

文明の初期は主にシュメール人が中心となっていましたが、歴史とともにアッカド、アッシリア、バビロニア、エラム、古代ペルシャ、ミタンニ、ヒッタイトなどの国がありました。

近くの山からの雪解け水により、水に恵まれていて農業もさかんに行われていたと言います。
土地柄、農業には向いていましたがその他の資源は少なく、必然的に交易も多くなったとされています。

そんなシュメール人たちは、数多くの謎を持っていました。

どこから来たのか分かっていない

古代メソポタミア文明を、さらに遡るとウルク文化に行き着きます。
ウルク文化の初期は紀元前3900年とされていて、その後文明が栄えて行くのですが、シュメールの言語や文化は、周囲の地域とは全く違っていたものでした。

近隣の文化などとは、多少の共通点が見つかりそうなものですが、シュメール語は独立しています。

もともと住んでいたのではなく、移住して来たとされていますが、俗に言う「シュメル人問題」「シュメール問題」とされていて、どこから来たのか不明です。

また、一説にはキエンギ地域に住み着いたとするのは、東から来た人ともされていて、モンゴロイドであった可能性もあります。
ですが、実際にどうだったのかは謎のままとなっています。

どんな民族だったのかも分かっていない

シュメール人たちがどのような生活をしていたのか、どんな人生を送っていたのかなど、詳しいことまでは分かっていません。
さすがに、最古の文化だけあって、物質的に風化してしまった部分も多くあるかと思います。

絵文字を作ったとされていて、文章での記録が残っているから、多少読み取ることはできていますが、やはり全貌までは難しいようですね。

出土しているシュメール人の像が怖い

これは、非常に多く言われている点ですね。
画像を見るだけで、異様さが伝わるかと思います。目が大きすぎます。

この像の見た目と、高度な技術を発達させたことから、シュメール人は宇宙人や地球外生物だったとする説もあるほどです。

確かに、よく見てみると異様で不気味です。
いわゆるグレイに似ているとも言えますが、当時にとってしてみれば流行のようなものだったのかもしれません。
目が大きいほど賢く見える、カッコいいなどですね。

もしくは、宗教的な意味合いなどがあったのかもしれません。

現代から見ると異様さを感じざるを得ませんが、当時にしてみれば異様さなども感じなかった可能性もあります。
なんにせよ、現在では怖い像です。

シュメール人の歴史

では、ここからはシュメール人の歴史についても、紐解いていきましょう。
シュメール人の起源については、詳しくは分かっていませんが、ウルク文化の後期のシュメールの楔形文字が解読されたことで、見えて来た歴史があります。
彼らは、どんな歴史を辿っていったのでしょうか?

発展を遂げるも洪水に見舞われてしまう

ウルク文化が栄え始めた紀元前3500年頃、人々の階級や職業のようなものが誕生し始めました。
後述しますが、この頃に絵文字なども生まれて来ました。

その後、紀元前3000年頃にはジェムデト・ナスル期に入ります。
青銅合金が始まり、同時に武器も強くなり戦乱が始まっていくのです。
そして、メソポタミア全域とまで言われるほどの、大洪水が起こってしまいます。

初期の王朝時代は紀元前2900~2350年とされていて、これが王朝の始まりでした。
そして紀元前2800年頃には伝説とされている、キシュのエンメバラゲシ王が誕生しました。
記録されている中で、最古の王となった人です。
(その前にも王はいたとされていますが、確実な記録がなされていなかった。)

最古の100年戦争

その後は、交易などを行い発展していったのですが、水の利権を争って最古の戦争、ラガシュ・ウンマ戦争が始まってしまいます。
しかも100年もの間続いたそうです。
そこからウルク第三王朝が始まり、20年ほど続きました。

アッカド帝国

その後、アッカド帝国時代へと突入していきます。(紀元前2350〜2113年)
この辺りから、シュメール語ではなくセム語を話す人が多くなっていき、シュメール語はだんだんと衰退してしまいます。

アッカド王のサルゴンは当時としては特殊な戦法を用いて、シュメールに攻め入りメソポタミアの統一を行いました。

グティ朝

その後、グティ朝へと続きます。
この時期に、なぜか彫刻技術が躍進しています。

グティからの異民族が入って、混乱の時代となります。
この時にアッカド帝国は徐々に弱まっていきました。

ウル第三王朝

そして、混乱状態を沈静化させたのがウルクの王である、ウトゥ・へガルでした。
ここから、シュメール人最後の王朝、ウル第三王朝が始まります。

ウトゥ・へガルの配下の将軍、ウル・ナンムが第三王朝を始めたとされています。
この時代に最古の法典であるウル・ナンム法典が作られ、中央集権制度が行われていました。

ですが、周辺諸国が強さを増していき、徐々にシュメール人の政治的な力が失われてしまいました。
紀元前2004年、シュマシュキ朝の古エラムの王キンダットゥに、ウルを占拠され、シュメール国家は滅亡してしまいました。

こうやって見ると、争いが絶えない歴史のように見えてしまいますが、政治的な部分も文化的な部分も大きく変化があったのが分かります。

旧約聖書との関わりがあった?

ここまで歴史をご紹介してきましたが、旧約聖書と関わりがあったのではないか?とする説も注目されています。
これらの説について、どのような関わりがあるとされているのかも、見ていきましょう。

バベルの塔

シュメール人が日乾レンガを使って作っていた聖塔で、ジッグラトという建物があります。
アッカド帝国の時代の頃に現れていて、王の権力を表していました。

このジッグラトの中でもバビロンにあるエ・テメン・アン・キは、旧約聖書 創世記に出てくるバベルの塔のことを指しているのでは無いかという説が出て来ています。

ノアの方舟

ノアの方舟と、後述するギルガメシュ叙事詩に出てくる、ウトナピシュティムの方舟には、共通点が多くあり、ざっくりとした内容は似ています。
これらにも、なんらかの共通点があるとされています。

また、メソポタミアには洪水の歴史もありますが、ノアの方舟で語られているような、世界規模のものでは無いとされています。

ソドムとゴモラの街

ニネベ遺跡で見つかった、シュメール人が残したとされる粘土板には、アピンと書かれている矢印が書かれていました。

また、その粘土板にはその時の天体の動きと、早朝5時30分頃にアピンが地上に落下して来たとも書かれており、現在の調査によると、アテン群小惑星の落下の記録とされています。

この小惑星が落下した場所が、ソドムとゴモラなのでは無いかとされています。

ここまでの関連性があるとなると、偶然ではないように考えてしまいます。
なんらかの関わりがあったのかもしれませんね。

シュメール人の高度な技術

では次に、シュメール人の高度な技術についても見ていきましょう。

様々なものを発見しているシュメール人ですが、具体的にはどのような技術を持っていたのでしょうか?

絵文字・楔形文字・

ウルク文化の頃には絵文字が、その後の初期王朝時代には楔形文字が発見されています。
恐らく、これまで意思疎通を言葉のみで行なっていたと思われますが、取り引きや交易などを行う時に必要となったのでしょうか。

文字の概念を発見したというのは、とてもすごいですね。

暦・占星術・60進法

暦や占星術、六十新法はシュメール人が発見したとされている説があります。
特に暦においては、シュメール人には夏と冬の概念があり、12ヶ月で1年とする、簡易的な雇用身を使っていたようです。

また、西洋の占星術の起源はバビロニアにあったとされていて、星と神を結びつける考えが広まりました。
天体を観察することで、1ヶ月を判断していたようです。

さらに、60進法を使う方法(内部に10進法を含んでいる)を使っていて、100の代わりに使っていたとされています。

ウル・ナンム法典

こちらは、シュメール最後の王朝 ウル・ナンムによって発布された法典です。
確認されている最古の法典となっています。

紀元前2115〜2095年の間に発布されたと見られており、損害賠償について細かく制定されています。
殺人や傷害、姦淫や離婚、窃盗など、多岐に渡る刑罰があり、極刑とする罪もありました。

ビール

ビールの歴史を紐解いていくと、シュメール人に行き着きます。
さらに、シュメール人はワインも作っているというのですから驚きです。

ビール自体、たくさんの種類を作っていて、黒ビールや褐色ビールなどを作っていたようです。
原料は大麦やエンマー小麦を使用していたようで、シュメール人からビールの製法が伝わったと言われています。

金属の製造も可能だった?

歴史でも触れていますが、青銅などを作ったりもしており、隕鉄を叩いて金属製品を製造されていたようです。
この技術があったために、軍事力も高かったとされています。

この時代ですでに金属を製造していたなんて、すごいですね。

最古の文学作品「ギルガメシュ叙事詩」

ノアの方舟の項目でも触れたギルガメシュ叙事詩。
この叙事詩はシュメール初期王朝時代の伝説的な王についての物語となっています。
当時はギルガメシュ叙事詩とは呼ばれておらず、「すべてを見たるひと」と呼ばれていたようです。

ギルガメシュ自体、半神半人とされていて、かなりの剛腕で90kg相当の斧をもったり、300kg相当の武装をしたりと、とても人間技ではなし得ないことも(物語の中では)できたとされています。

暴君であったギルガメシュに、神から対戦相手となる野人エンキドゥが作られ、戦いとともに友情を深めるというような内容です。

どこかで聞いたことのありそうなストーリーではありますが、ギルガメシュは現在のところ最古の物語とされているので、こちらがオリジナルとなりますね。

まとめ

ここまでシュメール人について解説させていただきました。
今もずっと使われていて、生活に密着している暦や、ビールなどを見るたびに、シュメール人を思い出してしまいそうです。
古いゆえに謎の多い人たちですが、今後謎が解明されていくと良いですね。

【参考サイト】

wiki
シュメール(wikipedia)
メソポタミア(wikipedia)
ウルク文化(wikipedia)
シュメール語(wikipedia)
エンメバラゲシ(wikipedia)
アッカド帝国(wikipedia)
ジッグラト(wikipedia)
エ・テメン・アン・キ(wikipedia)
バベルの塔(wikipedia)
ノアの方舟(wikipedia)
ソドムとゴモラ(wikipedia)
ウルナンム法典(wikipedia)
六十進法(wikipedia)
暦(wikipedia)
占星術(wikipedia)
ビール(wikipedia)
金属(wikipedia)
ギルガメシュ(wikipedia)
ギルガメシュ叙事詩(wikipedia)

コトバンク
シュメール問題(コトバンク)

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